綺麗事で済まないディズニー・ファミリーの物語
NHK-BSがウォルト・ディズニーの伝記ドキュメンタリーを4夜連続で放送したことがあります。
その一話目。
独自のアイデア力でアニメーションを作るウォルトと、会計、資金繰りを担当する兄のロイ。
二人は会社を立ち上げ、社名はワーナーなど兄弟を祖にするアメリカ企業によくあるように「ディズニー"ブラザーズ"」とつけていました。
やがて成功をおさめたあと
弟ウォルトは、この会社は自分の発想力でもっているのだからと主張して、ロイの存在を示す"ブラザーズ"を社名から外してしまいます・・・。
一体、兄ロイはそれで納得したのでしょうか?
そのあと、弟ウォルトから離れていったりしなかったのでしょうか?
知りたくて調べてみました!(by 英語版&日本語wiki)
社名からブラザーズが消えたあとも、兄ロイはウォルトとともに歩みました。その後、ウォルトが65歳の若さで亡くなったため、ディズニーカンパニーは兄ロイの手に託されます。
結果、ロイは大衆の注目を集める存在になりました。しかし、控えめな性格の彼にはそれが苦痛だったようです。
ほどなくしてロイも亡くなりました。
↑ウォルトの兄 ロイ
兄弟亡き後のディズニー家
ロイはミドルネームも含めるとロイ・オリバーといい、
その名をついだロイ・エドワードという息子をもっていました。
息子ロイは大学卒業後、ディズニーに入社し、1967年に取締役になりました。
一方、ウォルトにも一人娘のダイアンがいました。
しかし1933年生まれの彼女が成人したころのアメリカは「男は仕事に、女は家庭に」という時代でした。彼女は父の会社に参加することはなく、20歳でフットボール選手のミラー氏と結婚しました。
↑ウォルトの娘 ダイアン
↑兄ロイの息子 ロイ・エドワード
義父の援助で映像技術を学んだミラー氏は、やがてディズニーのCEOに迎え入れられました。しかし、その後のディズニーは乗っ取りの標的にされるようになり、彼のリーダーシップへの疑問が株主や周囲の人間の間で強くなっていきました。
やがて二代目ロイは、株主たちと組んで従妹ダイアンの夫であるミラー氏を追放してしまいます。そして以前パラマウントを成功させた実績のあるマイケル・アイズナー氏をCEOに迎えるのです。
その後、ダイアン夫婦は父ウォルトの思い出を語る以外は会社経営に関わらず、所有のワイナリーの名声をあげることに力を入れて過ごしたといいます。
まるで院政?
アイズナーはミラー氏が去った後のディズニーを成功させます。しかし、やり手のアイズナーの権力が強まるにつれて、取締役ロイの社内での立場に陰りが出てきました。
希望した取締役の任期の延長が拒否されると、ロイはあろうことかセーブ ディズニー(SaveDisney)というサイトを立ち上げ、今度はアイズナー追い出しキャンペーンを開始します。そして株主を味方にし、まんまとアイズナーを追放して、新社長を迎えます。
ロイはCEOになることはありませんでしたが、辞職と復帰をはさみつつ、長期間にわたって取締役の地位を守り、ディズニー株の一パーセントを保有する大株主の一人であり続けました。彼はディズニー家の栄華の恩恵を最も受けた子孫といえるかもしれません。
77歳になるとロイは、間に4人の子を成した別居中の妻と離婚して、別の女性と再婚しました。老いらくの恋でしょうか・・・。
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そんなロイも、ウォルトの実娘ダイアンも、すでにこの世にいない人になっています。ロイの娘はいまも映像関係の仕事をしていますが、経営に関わる立場は失っているようです。
ちなみにディズニー家はアイルランド系。ウォルト・ディズニーのWaltという名は彼の父親が親しくしていた牧師さんの名前が由来だそうです。
※ロイを彷彿させる選択をした人物に、田辺製薬の元社長 田辺五兵衛氏があります。
→外部リンク「1950年代田辺製薬の経営危機とお家騒動」
ロイとアイズナーの関係のような問題が戦後日本ではどのように決着したのか、比較対象として興味深いです。
記事内の写真は英語版wikiより
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